(起業の理由)
私自身が母子家庭で育ったこともあって、母の苦労は幼いながらもよく知っています。そんな理由から桑名に店を出すにあたって初めに考えたのが「保育所」でした。
桑名中の保育園さんを回ったり、市役所にも情報を伺いに行ったのですが・・・あいにく市役所さんから「待機児童はいないので今新たに作られても補助が出せませんね」というご返事。これは厳しいなと思いました。
残念ながら保育所は実現しませんでしたが、それに代わるような(そんな要素も含んだ業種への)起業ということで「囲碁・将棋サロン」を始めました。

(母子寮で過ごした幼少期)
母親と私、そして弟が小中学校の間お世話になったのは三重県四日市市前田町にある母子寮という施設でした。
そこにはいわゆる離婚をされた母子家庭がたくさんお世話になっていました。中には不良になったり、不登校になったりそんな子供もいましたが、多くはその母子寮で楽しく遊びました。
それを支えてくれたのが母子寮の先生方。そしてそれぞれの家族の親類(主におじいちゃん)でした。竹馬、ベーゴマ、メンコといった昔ながらの遊びから将棋やオセロなどを教えて貰いました。
とても楽しかった。子供たちは仲良く暮らしていました。
ただ残念なことに、当時は母子家庭に差別的な風潮があったようで、よく同級生からこんなことを言われました。
「あそこの家に遊びに行ってはダメだと言われた」「しゃべったらダメと言われた」
子どもは素直なものです。親から言い聞かされたことをすべて私に聞いてくるのです。「なんで?」と。

(僕は友達がいない)
その時は意味は分かりませんでしたが、それを話した母が泣きながら謝ってくれたことを今でも覚えています。やがてその意味を知ることになった時には、私は孤独な学生生活を送っていました。
差別をされるのが嫌で、友達を作りたくても裏切られるのが怖くて、クラスで一人勉強をしていました。休み時間は読書の時間で、部活の時間は図書館の時間でした。
友達同士で楽しそうに話しているのをうらやましいと思いました。でも無口なキャラクターとして完成されていた私にそれは不可能だと思いました。
それがまた悔しくて、見返したくて余計に勉強に打ち込みました。クラスで一番、学年で一番。いい高校に行って、国立の大学に入る。それが私のすべてになりました。学生時代私には友達はいませんでした。
とても友達がほしかった。とても憧れました。やがて高校の半年ほどを不登校で過ごしました。出席日数が足らないと担任から電話を受けて渋々出て行った記憶があります。
そんな事情が今の桑名囲碁将棋サロン庵での私の行動に反動として表れているのかもしれません。ご迷惑をおかけしていたら素直に謝罪します。

(大学中退)
そんな動機でしたので、国立滋賀大学に合格した時はとてもほっとしました。母は喜んで私を下宿に送り出してくれました。
よかったよかった。めでたしめでたし。
そして私は二年で大学を中退することになったのです。
大学に入学する目標は叶えましたから。しかし一流企業に入社するとでも目標を決めていればまだ頑張ったのかもしれませんが、あいにく私は解放されてしまったのです。
私はほっとしました。母は静かに泣きました。だから私も泣きました。
その際に母に感じた罪悪感を、今こうして同じ店で働けるということで果たしているのかもしれませんね。

(囲碁や将棋ができないオーナーの誕生)
さて起業に話を戻します。
私は囲碁や将棋をしたことはありませんでしたが、これなら老若男女問わずのんびりと過ごしてもらえるんじゃないかと考えたのです。続けるうちにそれぞれ得意なお客様が常連になってくださったり、ボードゲームの愛好家さんが通ってくれてゲームの種類が充実したり。全部たまたま偶然です(そうなったらいいなあとは思っていましたが)。同業の方からは猛反対されました。囲碁も将棋も知らないのにその店を始めるとか意味が分からなかったようです。当然ですね。私もその立場ならきちんと忠告して止めたと思います(今はそうではありません。やり方はいろいろあることを学びましたので)。

(桑名七盤勝負のはじまり)
そうして続けて1年が経過したころに桑名囲碁将棋サロン庵には7種の伝統ゲーム、その日本での公式団体さんやその会員さんが集まってもらえるようになりました。毎週のように大会を手伝ってくださったり、店内のお客様に教えてくださったり。とてもありがたかった。
その方々が同じイベントに参加していただけたら賑やかになるのではないかと考えました(当たり前な発想ですね)。
それが桑名七盤勝負の始まりでした。

(日本中に求められるコンテンツへ)
7つの競技を同時に対局するという一見とんでもない桑名七盤勝負ではありますが、実のところある程度駒の動かし方さえ覚えておけば、詳しく知らない競技にもそれなりに遊べるという利点があります。対局が終わってから対戦相手やその周囲に聞くことで、学びのきっかけはありますし。そもそも現在桑名七盤勝負に参加している選手には普及をされている方々も多く、教えることには慣れていらっしゃいます。
もちろんそれ以外の方も多いですが、やさしく教えて貰ったら続けようかなと思いますよね。

(繋がりを提案しています)
そんな輪が地域や性別、得意な競技という壁を越えてできつつあります。選手同士が繋がろうとしています。良質な交流の場を提案し、もっと仲間を増やすことが私の目標です。
その結果アナログゲームの世界が盛り上がり、有名になれる選手は有名に。自分では教えられない新規の参加者にも、繋がった仲間同士に情報を共有して普及を促進できればと考えます。良いものは次の世代へ。それがこの業種を選んだ自分のできる恩返しだと思います。
もちろんそうなればここ三重県桑名市の店にも来やすくなってくれるのではないかなという願いもあります。

(地元桑名にお住まいのみなさまへ)
もしも桑名にお住まいの方で、お子様の遊び場をお探しの親御さんがお見えでしたら、どうぞ当店をご利用ください。
一念発起して始めた起業です。なるべく長く続けたいので遊びに来てくれると嬉しいです。母や妻、そして前職の後輩とともに始めたここ「桑名囲碁将棋サロン庵」にてお待ちしています。

(日本で同じ時代を生きるあなたへ)
どうか友達になってください。以上です。

(余談というか蛇足)
ちなみに起業の要因となった理由は「ナムコイオン桑名店が店舗都合で閉鎖したから」です。首になったわけではありませんし、起業のために退職したわけでもありません。
それほど自分の才能に自信はありませんでしたしね。起業する最後のチャンスかなと思っただけです。
そんな桑名囲碁将棋サロン庵と私どもですがどうぞよろしくお願いします。

長文失礼しました。